■ パリ音楽院と名教授達。  藤田真頼  第2回へ
今も昔も、世界の名だたるフルーティスト達は、皆パリ音楽院出身である。
もしくはパリ音楽院に傾倒し関係がある。
モイーズ、ランパル、ラリュー、ニコレ、グラーフ、ゴールウェイ、ガロワ、パユー・・・・・・。
名前を挙げたらきりが無い。
しかし何故こんなにも優秀なフルーティスト達が育つのでしょうか。
そこには何か秘密があるのでしょうか。
フレンチスクール(エコールフランセーズ)の歴史を追って見ましょう。
第1回 フィリップ・ゴーベール(1879 CAHORS〜1941 PARIS )
 
1879年7月5日、南西フランスのワインで有名な町カオー(CAHORS)に生まれる。このカオーという町はロット県(LOT)の県庁所在地。生まれたときからロットと関係があった訳だ(後述)。父は靴、革製品の修理屋。趣味ではあるが、かなり本格的にクラリネットを吹いていたようだ。その父からソルフェージュの手ほどきを受ける。その後フィリップ・ゴーベール7歳のとき家族でパリに上京。その時住んだ家の近くにタファネル家もあった。近くに多くのミュージシャンが住んでいる界隈だったので、最初ヴァイオリンを習い始めてみるが、すぐにフルートに興味を持ち始め、ポール・タファネルの父、ジュール・タファネルにつきレッスンを始める。タファネルの父はゴーベールの才能を素早く見抜き、息子であるポールにフルートを習う事を強く勧める。この時1890年。ゴーベール11歳、タファネル46歳。タファネルがパリのオペラ座で首席を張って脂の乗り切っていた時であった。この11歳の少年にどのように忠実にフルートの基礎練習をさせるかが、今も全世界のフルーティストにとってなくてはならない日課練習『タファネルとゴーベール大日課練習』を書く基礎になっている訳である。
1893年タファネルがパリ音楽院の教授になり、同時にゴーベール入学。翌1894年7月にはF・ランジェーの協奏曲でプリミエプリ(1等賞)を得て卒業。この時15歳。師タファネルがゴーベールを心から可愛がり、彼の寛大な性格が良く出ていると思われるのだが、パリオペラ座とパリ音楽院管弦楽団のフルート奏者として、ゴーベールを推薦する手紙ををこのように送っている。『この16歳の坊やは、あなた達を吃驚させるよ。僕より10倍上手にフルートを吹く。』
見事オーディションに合格したゴーベールは、夜はオペラ座、オーケストラ、サロンでの仕事。昼間は作曲、和声、フーガの勉強。1905年作曲でローマ大賞を授賞。翌年パリ音楽院管弦楽団の副指揮者のオーディションに合格。もちろん指揮者でもあったタファネルから指揮法の授業も受けている。
その後第一次世界大戦に出兵。ロレーヌ地方、ヴェルデュン(Verdun)の戦いで、前線に出向いて勲章も獲得している。兵士として戦闘中に塹壕で作曲したり、農家のガタガタのピアノで時間を忘れて演奏したりという、逸話も残っている。
戦後、パリに戻り輝かしい彼の音楽家としての経歴を作ってゆく。1919年パリ音楽院管弦楽団の常任指揮者、パリ音楽院のフルート科の教授(40歳)、翌年パリオペラ座の常任指揮者に。最終的に1931年パリオペラ座の音楽監督になっている。指揮者として彼の得意とするレパートリーはもちろんフランス作品で、ドビュッシー(1862〜1918)、ラヴェル(1875〜1937)の全作品はもとより、ルーセル、ダンディー、オネゲル、イベール。また、ストラヴィンスキー、ファリャ、プロコフィエフ等々(いまだにパリ菅はフランス物とロシア物を得意としている)。ドビュッシー、ラヴェルは丁度、タファネルとゴーベールの間のジェネレーションになり、彼等の作曲にこの二人のフルーティストが大きな影響を残さないはずは無い。「ダフニスとクロエ」を初め、「オテロ」「トゥーランドット」「サロメ」「バラの騎士」等、多くのパリ(世界)初演を手がける。
また、作曲家として数多くの美しいフルートのレパートリー以外にも、バレエ曲、オペラ、交響楽等、多数作曲し上演している。自作バレエ(Le chevalier et la demoiselle)の初演の数日前1941年7月8日脳溢血のため急死。62歳。仕事にはかなりエネルギッシュに、疲れを知らず、妥協を許さず、細かく深く労力と情熱を注いでいたと言う。
フルートの作品群は皆誰かに捧げられていて、例えば「ソナタ第2番」はモイーズに、「ノクターンとアレグロスケルッツアンド」は師のタファネルに、「バラード」は自分の生徒達等に捧げている。それぞれとても精密に作られている名曲で、捧げた人々への深い愛情が感じられる。きっとゴーベール自身も周りの友人達に愛され好かれていた事だろう。
一方楽しいエピソードも残っていて、オペラ座の仕事の後は必ず向かいのカフェ・ドゥ・ラ・ぺでビールを大ジョッキ3杯飲み、布巾やメニューに曲のスケッチを書いてしまったり、夜寝るのは浪費だと思い、昼寝をするのが好きだったり。『彼はムッシュでは無く、大きなガキだった・・・・・。』
1923年以降、ほとんど人前でフルートを吹く事のなくなった彼はしかし、パリ音楽院のレッスンに行く前だけは、必ず自宅で少なくとも30分以上丁寧に練習してから出掛けて行ったと言う。タファネルの下で最初にレッスンを始めた時に手にした同じルイ・ロット(前述)(LOUIS LOT)製のフルートで。
『ああ!パリ!ああ!不心得者!! しかし・・・・ 私は音楽が大好きだ! だから私は世界で一番の幸せ者じゃあないんだろうか。』
次回はゴーベールの師タファネルについてです。
資料 Edward Blakemen
ザ・フルート67号
フィリップ・ゴーベール
幼少のゴーベル(中央)父と兄
指揮者としても活躍する
若き日の肖像
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